その人は眠りながら逝った

荻原魚雷さんの「文壇高円寺」9/12「六平さん」を読んで、この言葉が思い浮かんできました。人が逝く場合、自分が耐えて、家族が耐えて、あるいは耐えずに逝くか、のいずれかです。

自分が、家族が耐えてはたいへんです。それも長い時間となるとなおさら。そうであれば、人知れず静かに逝った方がいい。中川六平さんのように、眠りながら逝った方がいい。

周りに迷惑をかけない生き方・・・ 生き方 → 死に方・・・ ができれば、それに越したことはないのです。しかし、そういうわけにもいかず、各自が厳しい選択をしなければなりません。そう人はひとりで生きているわけではありませんので。

魚雷さんは気持を抑えながら、淡々と中川さんのことを書いています。その中で、魚雷さんが本を出版するときに、中川さんから言われた言葉が印象的です。「おまえは失うものがないんだから、守りに入るんじゃねえぞ」。

これは中川さんから魚雷さんへの遺言のように思えますが、どうでしょう。中川さんは晶文社に復帰し、『古本の時間』を出版し、これからという時に ・・・ こうした巡り合わせを一体誰が予想したでしょう。

私は改めて「その人は眠りながら逝った」という言葉を反芻しています。