大竹昭子『眼の狩人』(ちくま文庫)

今年の「不忍ブックストリート」で開催の「一箱古本市」に出品する本を選んでいて、読み始めてしまったのが、この文庫、大竹昭子『眼の狩人 戦後写真家たちが描いた軌跡』でした。

読後、その文庫を見ると、付箋が林立しています。本の内容についての関心を付箋の数で知ることができます。

目次を見ると、戦後写真家たちを一望することができます。

こう紹介するだけで、その写真家をイメージすることができる、個性的な写真家ばかりです。

では、大竹さんがなぜこの本を書いたかですが、まず、戦後の写真家の紹介すること。それだけでなく、インタビューを通して、各自にとって写真とはなにかを掴むこと。それが自分にとってどういう意味なのかを考えることでした。

写真とは何か。 生きるとは何か。まさに、直球勝負! を挑んでいます。

大竹さんはこれらの写真家を履歴と写真を通して、途中経過を報告しています。この問いについての自分の考えを記しています。しかし、それが最終結論ではありません。

たとえば、<目の前にある現実を受容するその肯定性にこそ、写真の力はある。>p255

ですから、大竹さんは正解ではなく、解答を求めて、写真を撮り、文章を書き続けなければなりません。

そして、最近は語ることを通して考えようとしています。最近の大竹さんの「カタリココ」にはそんな意味があるのではないでしょうか。

〈カタリココ〉はトークと朗読のイベントです。
「語り」と「ここ」を合わせて〈カタリココ〉。

戦後写真家の一人に名を連ねるであろう都築響一さんがこの本の解説を書いています。そして、こう言っています。

<つまり写真と文章というふたつの方法を両手で同時に使いながら、なにがを表現していくことが、ひとりの人間に可能なのか。それがベストのスタイルなのか。自分の世界をすでに築き上げた写真家たちの生きてきた道をなぞりながら、彼女は自分の表現世界のロードマップの、曇りをぬぐおうとしている気がする。>p369

だから、解説のタイトルは「両手打ちの思想」であり、だからこそ、「年若のママは、やっぱり手強いのだ」ということになります。ママの本をまた読んでみたい。カタリココも聞きに行きたいと思っています。

眼の狩人 ―戦後写真家が描いた軌跡 (ちくま文庫)      ニューヨーク 1980      読むとだれかに語りたくなる わたしの乱読手帖


最後にひとつ気になっていることをメモしておきます。

それは藤原新也さんの章でこういう記述がありました。

石岡瑛子ディレクションのもとにインド、アフリカ、モロッコを訪ね、現地の女性たちをモデルにしてスチールとフィルムを撮った。この「あゝ原点。」シリーズの写真は、『七彩夢幻』(一九七七年 PARCO出版局刊)と題して写真集にまとめられる。>p246-247

藤原新也さんと石岡瑛子さんが一緒に仕事をしたことがあるのです。石岡さんはすでに亡くなっていますが、藤原さんから見た石岡瑛子さんについて聞きたかった。プロとプロの対決も見たかった。そう思います。

いま、『七彩夢幻』、この作品だけが残っています。


石岡瑛子+藤原新也の作品は
これ以外にないのだろうか。