内田樹さんの教育について

自民党教育再生実行本部がTOEFLを大学入試に義務づけるなど海外で活躍できる人材の育成を目的とした教育政策を安倍晋三首相に提言しました。

内田樹さんは東京新聞の電話取材に応えて、その内容を4/10のツイートにまとめています。いい内容ですので、一読下さい。下記の枠内に引用してあります。

さらに内田さん4/7のブログ記事「学校教育の終わり」でも教育について述べています。併せてお読み下さい。

併読すると、いまの、そしてこれからの学校教育について考えさせられます。また、「海外で活躍できる人材の育成を目的とした教育政策」についても再考させられます。 

自民党教育再生実行本部がTOEFLを大学入試に義務づけるなど海外で活躍できる人材の育成を目的とした教育政策を安倍晋三首相に提言した件についての東京新聞の電話取材。改憲案22条やTPPと同じく、国民国家解体を促進するためのプロセスですとご説明する。


人は母語によって創造する。後天的に学んだ外国語で対話したり、表現したりすることはできますが、それを用いて新しい思念や感情を創り出すことはできません。「沈黙の言語」(language of silence)とは江藤淳によれば「思考がかたちをなす前の淵に澱むもの」のことです。


「沈黙の言語」と触れ合うことで僕たちは固有の文学を知ります。「なぜなら、この『沈黙』とは結局、私がそれを通じて現に共生している死者たちの世界−日本語がつくり上げて来た文化の堆積につながる回路だからである。」(江藤淳『近代以前』)


グローバル化とは端的に言えば、「死者たちの世界」との回路を断ち切ることです。シンガポールやフィリピンや韓国やベトナムでいま起きていることです。祖父母たちが母語で書いたテクストを孫の世代はもう読むことができない。


それは固有の文化を失うことであると同時に、「私は『死者たちの代理人』である」と僭称する政治家やイデオローグに対して誰も反論できなくなるということでもあります。ナショナリストたちは逆説的なことですが、国民ひとりひとりが伝統文化とのパーソナルなかかわりをもつことを嫌うのです。


伝統文化や母語についてのパーソナルな愛着ほどナショナリズムが嫌うものはありません。ナショナリストは「伝統文化や母語」について一意的な定義を下したる。わが国の文化は「こういうもの」であると一方的に規定して、それ以外のものを排除しようとする。


だから伝統文化や母語の深いニュアンスについて親しむことをナショナリストは嫌うのです。「美しい日本」というような無内容な国民文化規定をしたがる政治家が「もっと英語を」と主張するのはそのためです。彼らは日本人に日本の伝統文化に触れて欲しくないのです。


「クールジャパン」というような伝統と断絶した「日本的なもの」を彼らがやたらに持ち上げるのはそのためです。「クール」というなら『柳橋新誌』や『福翁自伝』や『断腸亭日乗』の方が100万倍も「クール」ですが、彼らはそんなものを日本の若者には読ませたくないのです。


街場の教育論        街場の大学論  ウチダ式教育再生 (角川文庫)