井上ひさし『日本語観察ノート』(中公文庫) より

1.谷川俊太郎のことば < (詩人である私の務めは、すべての言葉を)われわれの「からだ」と「暮らし」に根づいた言葉に、どうしたらできるかである。> p112

「からだ」と「暮らし」に根づいた言葉を書き続けて、谷川さんも今年で81歳です。詩人・谷川俊太郎の公式ウェブサイト 谷川俊太郎.com

2.たいていのことばは音声と文体の二本柱からできている。文字については、書き取り、筆順、送り仮名と、ずいぶんきびしく訓練されているが、音声の訓練はほとんどなおざりにされている。それが近頃のあの浅く平べったい発声となって表れているのではないでしょうか。p130

そう言われると、確かに読み書きは学びましたが、聞く話すはあまりしていない。だから、人と人との交流がいまだ苦手。人とのつながりを広げていくのに、この練習不足がずっと尾を引かなければいいのですが。

3.知っている同士では、こんなに親切にしあう国民もないが、知らないとなるとこれほど冷たくしあう国民もない。それが日本人である。自戒を含めて、いつもそう思うのですが、これもわたしたちが「公の場」を持ち損ねてきたからでしょう。p153

わたしたちの特性をずばり言い当てています。知る知らないに関係なく、人との関係がもっとやわらかで、もっとしなやかなものになったら、冷たさも温かさに変わると思います。そのためには「公の場」での訓練が必要です。

4.芸術などは、もうウソの温床、中でも文学はウソのかたまりのようなもので、たとえば、婉曲にいう、強調し誇張しすぎる、反語を使う、擬人法にする、敬語で必要以上に相手をたてまつるなど、すべてがウソを志向する修辞法です。p195

「中でも文学はウソのかたまりのようなもの」。ホントのようなウソ。ウソのようなホント。いすれがウソ、いずれがホントかわからぬまま、すべてをホントに見せる、大いなるウソを。

5.けれどもウソをついてたった一つ、鉄則があって、それは他人さまからお金をいただいていて、それで生計を立てている人間は、その他人さまに対してどんなことがあってもウソを云ってはいけないということ。p195

ましてお金をいただいて、ですから、ウソのウソではなくホントのホントを言うこと。これが大事です。ホントとウソの境目はまさに蟻の門渡り。そこを通らずして、ホントの門は開かれません。

にほん語観察ノート (中公文庫)