平松洋子さんの「ずっと手に取り続けている本」

先のツイートで、平松さんの『野蛮な読書』が講談社のエッセイスト賞を受賞したことを書きました。昨日図書館に予約本を取りに行き、「本の雑誌」8月号を手に取ると、そこに平松さんの名前がありました。

そのタイトルは<私のオールタイムベストテン「ずっと手に取り続けている本」>。平松さんが10代から20代に読んだ本の中から、いまも再読している10冊を紹介していました。

この10冊には、それぞれにいろいろな思い出があり、そのことも綴られています。二十代半ばで、はじめて自分で揃えた『内田百輭全集』全十一巻は読むのに1年かかったといいます。この全集のなかで、一番読むのが「冥土」だそうです。

誰しもプロになる場合には師に学ぶといいます。平松さんの師はというと、完読、熟読した内田百輭ということになるのでしょうか。各自、それぞれの師を持っているものです。

そして、平松さんは再読の効用を次のように書いています。

つくづく思うのだが、繰り返し読むということは、読んだときの自分を再発見する行為でもあるようだ。最初に読んだ時の記憶に現在の自分が重なって上書きされ、新たな読みが生じる。再読を重ねるほど過去の記憶と現在は重層的な厚みを帯びてゆき、一冊の本が唯一無二の存在に育ってゆくのだ。まさにその体験こそ、再読のもたらす幸福にほかならない。

唯一無二の存在としての本が1冊ずつ増えていくこと。これが無類の愉しみなのです。そのために本を読んでいるといっても過言ではありません。

冥途―内田百けん集成〈3〉   ちくま文庫         冥途・旅順入城式 (岩波文庫)