平松洋子さんの「ずっと手に取り続けている本」
先のツイートで、平松さんの『野蛮な読書』が講談社のエッセイスト賞を受賞したことを書きました。昨日図書館に予約本を取りに行き、「本の雑誌」8月号を手に取ると、そこに平松さんの名前がありました。
そのタイトルは<私のオールタイムベストテン「ずっと手に取り続けている本」>。平松さんが10代から20代に読んだ本の中から、いまも再読している10冊を紹介していました。
- 石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』福音館書店
- R・ブローティガン『西瓜糖の日々』河出文庫
- 夏目漱石『硝子戸の中』岩波文庫
- 深沢七郎『みちのくの人形たち』中公文庫
- 細江英公『鎌鼬』青幻舎
- 『内田百輭全集』 講談社
- 殿山泰司『JAMJAM日記』ちくま文庫
- 久保田万太郎『春泥・三の酉』講談社文芸文庫
- 『山家集』岩波文庫
- 辛永清『安閑園の食卓』集英社文庫
この10冊には、それぞれにいろいろな思い出があり、そのことも綴られています。二十代半ばで、はじめて自分で揃えた『内田百輭全集』全十一巻は読むのに1年かかったといいます。この全集のなかで、一番読むのが「冥土」だそうです。
誰しもプロになる場合には師に学ぶといいます。平松さんの師はというと、完読、熟読した内田百輭ということになるのでしょうか。各自、それぞれの師を持っているものです。
そして、平松さんは再読の効用を次のように書いています。
つくづく思うのだが、繰り返し読むということは、読んだときの自分を再発見する行為でもあるようだ。最初に読んだ時の記憶に現在の自分が重なって上書きされ、新たな読みが生じる。再読を重ねるほど過去の記憶と現在は重層的な厚みを帯びてゆき、一冊の本が唯一無二の存在に育ってゆくのだ。まさにその体験こそ、再読のもたらす幸福にほかならない。
唯一無二の存在としての本が1冊ずつ増えていくこと。これが無類の愉しみなのです。そのために本を読んでいるといっても過言ではありません。