ポパイとワンダーランド
今日朝日新聞の夕刊を読んでいて、久しぶりに懐かしいひとの名前を発見しました。その記事は「ニッポン人・脈・記」の「あの頃 アメリカ 13」。そこからの抜書とコメントです。
冒頭、「ポパイ」創刊編集長木滑良久(82)を悔しがらせた雑誌。それが、植草甚一責任編集の看板で登場した「ワンダーランド」だった。
ですか。もう木滑さんも82歳ですか。あのころはまだまだ若かった。それがいつの間に、こればかりは致し方なし。その年月を受け入れるだけ。
ワンダーランドー宝島は、アメリカ文化を紹介し、大小の記事を詰め込んだカタログ雑誌のつくりで、「シティー・ボーイ」という言葉もポパイに先んじて使った。
という雑誌もありました。これもいつかまた記憶の彼方に消えていきます。でもあの頃は確かに雑誌の時代でした。
「いやマガジンハウスはプロで、我々はアマチュアでしたから」。そう語るのは津野海太郎(74)、創刊当時の実質的な編集長である。
プロを超すアマチュアリズム。それは雑誌のみならず、晶文社の本に感じます。プロって、永遠のアマチュアなのかもしれません。
津野によれば、植草と片岡義男(72)の「ツートップ」で始まった雑誌である。木滑が悔しがったのも、この2人を擁して始まったことが大きい。
植草さんの評価は高いし、人気もありますが、片岡さんを本格的に論じたものは少ない。片岡さんの作品や活動をもっと高く評価してもいいと思います。