想像力・・・連想から連想へ!

林哲夫さんの「daily-sumus」3/2付「昭和文学への証言」で、次のように書いています。

大岡昇平『昭和文学への証言』(文藝春秋、一九六九年、装幀=北園克衛)。昨日の青山二郎からの連想で目についた。拾い読みしていると、やはり面白いことがいろいろと書かれている。「「私小説論」をめぐって」と題した一文に芝書店が登場する。

私はこの記事を読んで大岡さんの本のカバーデザインに魅かれました。いいデザインなんです。即、装幀の北園克衛さんのことを連想しました。他にどんな作品があるのかが気になりました。

北園克衛」を入力し、画像を選択すると、北園さんに関連する画像が数多く出てきます。このネット検索できなければ、膨大な情報のなかで、どうチェックすればいいのでしょう。それを考えると「検索」の大事さがわかります。*1

検索ページを追っていくと、一昨年12月に世田谷美術館で『橋本平八と北園克衛展』が開催されたのを知りました。この展示会を見ておけばよかったと、いまさらながら後悔しています。

ひとつの文章から、ひとつの画像から、何かを連想し、それが新たな連想を生み、さらに連想が拡がっていく。まさに想像の連鎖。人はこうした展開のなかで、意外なことに気づいたり、新しいことへのヒントを得ます。

そのためには、自由自在に歩行し、荒唐無稽に飛躍し、縦横無尽に行き交う、そうした想像力が何より必要だなと思いました。

*1:ふと思ったのですが、情報へは即座に近づけますが、その情報をどう活用するかが不十分な気がします。
これだけ情報の中から、必要なことを簡単に引き出せるのですから、それを組合せることによって、さらにいい情報にすることが可能です。また人はその情報に基づいて行動し、事後改善を繰り返し、情報の精度を高めることができます。
それが個人で留まり、他と分かち合うことが出来なければ、革新の相乗効果も生まれません。そこで情報の「共有」が必要になります。それにより、交流を円滑に行うと同時に共創を新規に行うことが出来ます。