四方田犬彦『ラブレーの子供たち』等
今日帰りに、いつもの古本屋さんに立ち寄り、本を見ていると、一人の若者がカゴに何冊も入れ、さらに棚を物色していました。ときどき携帯で価格を調べながら。そういう光景が増えてきています。
どうも傍目で見ていて、しっくりきません。そういう古本の買い方もあるでしょう。そしておそらくこれからもっと増えるでしょう。これはネット、携帯、検索がだれでもどこでも簡単にできるようになったからです。
そうしたツールを使いこなせないと、これからは本の購入(仕入れ)もできなくなるのかもしれません。カン(勘)ピュータではなく、コンピュータを活用して、もっと売れる商売をすべきなのかもしれません。
しかし、それができればいいのですが、おそらくできないでしょう。デジタルよりアナログ。だから本にこだわって、こだわり続けているのです。論理より想像を。YES/NO より 0→∞ を。
ともあれ、読者としてはいい本を読みたい。本屋としていい本を売りたい。そのいい本を探求し、提供したいと思っているのです。立ち位置は微妙に違うのですが、読者=本屋となることをめざしたいと思うのです。
[本日の購入本]
- 四方田犬彦『ラブレーの子供たち』 新潮社
- 鶴見俊輔 『太夫才蔵伝−漫才をつらぬくもの』 平凡社
- 内田樹 『日本辺境論』 新潮新書
- 加藤秀俊 『暮らしの戦後史』 中公新書
- 徳川夢声 『徳川夢声の問答有用1』 朝日文庫
- 徳川夢声 『徳川夢声の問答有用2』 朝日文庫
ロラン・バルト、小津安二郎、開高健・・・・・・・。あの人たちと同じものを食べてみよう。そして彼らがどんな人であったかを、あなたに語ろう。ー舌と脳と胃袋で考える、食をめぐる実践的文化試論。
歴史を振り返ってみるなら、多くの芸術家は食いしん坊だった。それは単に食欲の問題である以上に、彼らが生来的に抱いていた、世界に対する貪欲な好奇心に見合っていた。ある者たちは優れたレシピ集を残し、別な者たちは後世の伝記を通して、その健啖ぶりが伝えられた。彼らは、洋の東西を問わず、ラブレーの子供たちなのである。(本書より)