東北地方太平洋沖地震

< 11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とする大地震があり、宮城県栗原市震度7を観測した。北海道から九州にかけての広い範囲で震度6強〜1の揺れと、津波に見舞われ、死者・行方不明者は東北を中心に850人を超えた。地震の規模を示すマグニチュード(M)は8.8で、記録が残る1923年以降国内で最大。昨年2月のチリ大地震(M8.8)に匹敵する世界最大級の地震になった。> (朝日新聞

昨日の「東北地方太平洋沖地震」の記事やコメントを読む中で、「古本酒場コクテイル 店番日記」の狩野俊さんのコメントと「Shinya talk」の藤原新也さんのコメントが印象に残りました。

■3/12「古本酒場コクテイル 店番日記」
(前略) 人間は、人の営みの歴史は、ああいう大きなものと常に対峙し、嘆き、怒り、諦め、挑み、そして日常を生きてきたのだろう。だったら人災は止めよう。少なくても戦争は止そう。せいぜいわたしが出来ることは、隣人とよく付き合うくらいしかないのだと思う。そして日常を生きるのだ。

■「Shinya talk
2011/03/12(Sat)
合掌
地球が暴れはじめている。
これはひとつの前兆か。

地震津波から一日経ち、徐々に被害の実態が報道されています。地震の大きさ、津波の凄さを目の当たりにして、絶句してしまいます。まだ取り残されている方々がいます。早急な救命、十分な救済をしてほしいと思います。

天災は予告なくやってきます。なぜという質問は無意味です。予想できたとしても、それをはるかに超えたのが今回のケースです。自然の猛威に万全の対策を、と言ってもムリがあります。が、万全を期すことは必要です。

狩野さんのコメントは天災でなく人災について、藤原さんのコメントは人災ではなく天災についてのコメントです。人災は何かできるのですが、天災は何もできない・・・できるようになってきましたが・・・不気味。

藤原さんの言葉が気になります。曰く、<これはひとつの前兆か>!?

最後になりましたが、「東北地方太平洋沖地震」の被災地の皆様、謹んでお見舞い申し上げます。



狩野俊 『高円寺古本酒場ものがたり』 晶文社